Read | Download はじめにいつも私は、誰かに何かをお願いされたとき「YES」と言うように努めてきました。その場で断ることは簡単ですが、断った瞬間、そこで道が閉ざされてしまうと考えているからです。 だから、ルアンピー(先輩僧侶)から「出家した体験を本にまとめませんか」という提案をされたとき、私は即座に「YES」と答えました。2013年の9月のことです。 過去に本作りに携わったことは一度もありません。それでも「YES」と伝えたのは今回の出家体験が、人生の中でも印象的で大きな出来事で、たとえ文章が乱筆乱文であってもその体験をしっかりと伝えたいと思ったからです。どういう心境で出家を志したのか。出家中はどういう生活をしていたのか。瞑想中は何を考えていたのか。食事はどうだったのか。これまであまり語られることのなかった出家や瞑想についてまとめて、ありのままに伝えたい。そういう気持ちが盛り上がり、本の制作を引き受けました。 日本では「宗教」というと怪しいイメージがあります。お寺参りや葬式、新年三が日の参拝は気軽に行なうけれど、宗教に入信することはどこか引っ掛かるところがある。多くの日本人はそのように思っているのではないでしょうか。これは、新興宗教団体による強引な勧誘行為や高額商品の販売などによって、宗教に対するイメージが損なわれたためだと考えられます。 先に断っておくと、私は無宗教の人間です。仏陀が話したとされる説法をいくつも聴いて、なるほどと思うことは多々ありましたが、私自身は各宗教にあるような「死後、天国にいける」や「輪廻からの解脱」という話には特別な関心は持てませんでした。ですが宗教の重要性は海外に出てからというもの、頻繁に感じさせられます。海外の友人に「日本人は仏教徒が多いのか?」と質問されて「日本にはお寺がたくさんあるが、若い世代を中心に無宗教の人が多い」と答えるとたいてい変な顔で見られます。これだけ長く生きてきて、仏教国でありながら仏教のことを何もしらないことに恥ずかしさを感じたことが何度もあります。 当然のことですが、タンマガーイ寺院の出家コースを通じて入信を勧められることはありません。出家を果たした今も私は信仰を持っていません。しかし、宗教がその国の衣食住、精神、教育など人々の生活に関わるあらゆる文化に大きな影響を与えていることは事実です。日本を出てタイに渡りその文化に触れたことで、キリスト教や仏教、イスラム教などに触れても盲信せず、かといって反宗教も掲げず、良いところがあれば取り入れ、自分の人生に生かすことが宗教との適切な付き合い方なのではと感じるようになりました。だから本書の執筆にあたっては、宗教云々に関する内容はできるだけ省き、あくまでもフラットな感覚で(無宗教という視点から)執筆することを意識しました。 この本を通じて出家や瞑想に興味を持っていただければ幸いです。読みにくい部分もあると思いますが、ご自身が出家をされている気持ちになって読み進めていただければこれほど嬉しいことはありません。 川端陽介 1出家スタート住まいや仕事もまったく違う見ず知らずの男たちに共通するのは、遠く離れた日本からやって来たことと、出家したいという気持ちだけです。初日は誰もが緊張します。 簡単な自己紹介の挨拶を済ませても、人数が多いためなかなか名前を覚えられないかもしれません。それでもこれから共に住む仲間たちです。出家という同じ目標があるからこそ、相手と目が合う度に「〇〇さん」と意識的に名前を呼び合えば、不思議なほど自然と打ち解けていきます。 最初に行なうのは健康診断です。タンマガーイ寺院の中には衛生的な診療所が併設されており、簡単な病気や怪我はここで診てもらうことができます。これから始まる20日間の生活を安心して過ごすために、健康診断では検尿、採血、体重測定などを行ないます。 診断書はタイ語で書かれていますが、日本人ガイドが一緒に居てくれるので全く心配ありません。ここでも参加者の共通の話題は出家をすること。行き帰りの車内ではすぐに皆と仲良くなれるでしょう。 初日は今後の生活についての詳細な説明があります。 朝は4時30分起床だということ。食事は1日2回だということ。出家式までにお経を覚えなければならないこと。規則正しい生活をしなければならないこと。 詳しい生活サイクルに関しては後ほど説明しますが、全てが始めての経験で不安になることもあるかもしれません。ですが、日本人出家コースには日本語が堪能なタイ人の僧侶が常駐しているので、安心して瞑想に集中できる環境が整っています。 2瞑想とは瞑想は東洋的で非科学的なものとして取り扱われているのも事実です。しかしその効果は近年、科学的に認められはじめています。 世界中の大学やいくつもの公的な研究機関が瞑想についての効果を実証しており、米国の大手企業であるGoogle 社やデパートチェーンのTarget 社、そして大手食品メーカーGeneral Mills 社も瞑想を取り入れています。 NBA のスタープレーヤーであったマイケル・ジョーダンが精神を集中させ、試合で能力を遺憾なく発揮するために禅を行なっていたのは有名な話です(禅はインドで生まれた瞑想法の一つです)。彼が、「ゲームの最後の場面で、禅のおかげで観客が静かに感じられた。周囲の動きがゆっくり見え始め、コートがよく見えた」と語るとおり、瞑想は周囲の把握と冷静さ、集中力をもたらしてくれるのです。 また、瞑想はアップル社のスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビルゲイツ、京セラ・KDDI の稲盛和夫など、大企業の多数の経営者も取り入れています。経営者やアスリートが当たり前のように瞑想の習慣を持ち、定期的な実践を奨めています。多くの成功者や成功企業が実際に瞑想を生活の中に上手く取り入れて、その効果によって素晴らしい成果を手にしています。非科学的と言われながら多くの人が実践し、成果を上げている瞑想。瞑想を行なうにあたり、予備知識はほとんど必要ありません。少しでも疑うのなら、試してみる価値は高いでしょう。 瞑想は近年ではセルフコントールの分野において、集中力や行動力を高めてくれる有効性が証明されています。しかし一方で、心を起点とした技術でもあるので、人によって効能が異なるというイメージも少なからずあります。 タンマガーイ寺院は、ルアンポー・タンマチャヨーとクンヤーイ・アージャーン・チャンという二人の堅い決意のもとに設立され、たった40年間で10万人以上の信者をもつ大きな寺院へと成長しました。 これほどまでの短期間で多くの人に受け入れられる寺院に成長したのは、その瞑想方法にこそ秘密があります。仏陀が確立した瞑想法は実に数十種類あるのですが、入滅後2600年間で失われてしまった方法もたくさんありました。タンマガーイ寺院が実戦した瞑想方法はその再発見とも言われており、誰もがイメージしやすく自問自答が明瞭で、かつ心の平穏を手に入れやすい方法だったのです。 そもそもなぜ出家者は瞑想をする必要があるのでしょうか?これは仏教の説く「涅槃」と深く関係しています。言い換えれば、苦しみをなくすために瞑想を行なうのです。 心の汚れを除き綺麗にするため。智慧を得るため。二度と生まれ変わらないため。 仏陀は「一切は苦である」「生きること、存在そのものが苦である」と発見された方です。 苦しみとは、他の誰かから与えられるものではありません。私たちは移り変わる物を「永遠」と信じ、一時しのぎの安楽を「幸せ」と考え求め、ありもしない「自我」にしがみつきもがき続けています。苦しみを生み出す根源が、自分の中の「欲」や「無知」だと気づくためには、今この瞬間の体・心・感覚と一切の現象をありのままに正しく観察し、自ら「体験」する必要があります。その手段が瞑想なのです。 人間の心は90%以上は外に向いています。無意識にいろんな雑念に縛られて生きているともいえます。例えば、今日あなたの親が誕生日でレストランに行き食事をしている時に、遠くの席で店員を怒鳴り散らしているお客様がいるとします。そのようなシチュエーションでは「うるさいな」もしくは「何事か」と不安を感じるでしょう。 この「うるさいな」「何事か」と思っている瞬間、あなたの集中力は削がれ、知らず知らずのうちに家族との大切な時間が奪われているのです。これらは思考しようと思ってしているわけではありません。自然に、意図しないところで勝手に発生した気持ちです。つまり、自分の大切にしたい時間は外部の変化によってたやすく邪魔されてしまうということ、言い換えれば、常に外部からの刺激に晒されて人は生きているのです。 これを雑念と呼ぶこともあります。 人は何かに意識を集中しなくても、勝手に物事を思い浮かべてしまいます。雑念は、周囲の環境や雰囲気の変化にその都度反応し、意識とは関係のない思考や気分を私たちに生じさせます。これは無意識がそうさせているためで、この働きは生きている限り永遠に続きます。自分の頭に浮かぶことは、自分で完全にコントロールできている事柄だけではないという証明でもあります。 雑念(自分でコントロールできない気持ち)は飼い馴らされていない猫のようなものです。餌をあげて仲良くなってからでないと近づくことすらできません。捕まえようと焦れば焦るほど猫は警戒し、自分の場所には来てくれないでしょう。じっくりと時間をかけて近づくしかないのです。 良い結果を期待しないことが良い瞑想を行なう秘訣でもあります。どんな人も瞑想によって無意識下の心を制御し、自分の意志や欲求を守り、為すべきことを為すための力を手に入れることができます。瞑想とは何も考えないことであり、自分の心を見ることでもあります。これを続けると自分の今の状態がわかるようになっていきます。 歩いているとき、食事をしているとき、誰かと待ち合わせをしているとき。 瞑想はいつでもどこでも行なうことができます。瞑想を行なうことにより、自分の意志や意図を行動に反映させることが簡単に出来るようになったり、周囲の情報に振り回されず的確な判断を下し、行動することができるようになります。 3出家の動機「はじめに」で触れましたが、日本では宗教に怪しいイメージを持つ人も少なくありません。 私はできるだけフラットな気持ちで出家に挑みましたが、それでも出家をしたいと日本の親友に伝えるとき、「あやしい宗教に入ったのでは?」と心配されることが頭をよぎりました。しかし、その考えは全く必要ありませんでした。むしろ「出家は素晴らしいことだね」と喜んでくれました。逆にタイ人の友だちには「そんな遊び半分の気持ちで出家なんてしないでほしい」と呆れられる始末でした。 日本人にとっての「出家」はお寺参りや葬式、新年三が日の参拝の部類に入り、「入信」とは区別されるようです。タイ人は「出家」と「入信」を同一に考えているため、私に真剣に出家するよう促したのだと思います。いずれにしても、タイは真面目に出家を希望する人を受け入れてくれる土壌が出来上がっているのだと知りました。 上記のことからわかるように、出家コースは入信目的ではなく、純粋に出家をされたい方が参加するのが良いかと思います。 日々生活し、仕事を行なう中で、本当に自分自身に向き合って生きてきたか?と問われると答えに窮する自分がいます。そこで私は、瞑想を通じて自分自身と向き合いたいと考えました。そのためには瞑想に適した寺院を探す必要がありました。 私個人が参加を決意した理由は主に以下の5つです。 ・日本語でのサポート タンマガーイ寺院では日本人向け短期出家コースを10年以上行なっており、数十人の日本人が出家しているという実績があります。そのため、タイ人僧侶で日本語が話せる人や日本人でタイ語が話せる人が常駐しています。 常に日本語を話せる人が身近にいるため、言葉の壁に窮することはありません。タイ語を練習してみたければその旨をタイ人に伝えれば教えてさえくれます。 ・健康面でのサポート…