はじめに
いつも私は、誰かに何かをお願いされたとき「YES」と言うように努めてきました。その場で断ることは簡単ですが、断った瞬間、そこで道が閉ざされてしまうと考えているからです。
だから、ルアンピー(先輩僧侶)から「出家した体験を本にまとめませんか」という提案をされたとき、私は即座に「YES」と答えました。2013年の9月のことです。
過去に本作りに携わったことは一度もありません。それでも「YES」と伝えたのは今回の出家体験が、人生の中でも印象的で大きな出来事で、たとえ文章が乱筆乱文であってもその体験をしっかりと伝えたいと思ったからです。どういう心境で出家を志したのか。出家中はどういう生活をしていたのか。瞑想中は何を考えていたのか。食事はどうだったのか。これまであまり語られることのなかった出家や瞑想についてまとめて、ありのままに伝えたい。そういう気持ちが盛り上がり、本の制作を引き受けました。
日本では「宗教」というと怪しいイメージがあります。お寺参りや葬式、新年三が日の参拝は気軽に行なうけれど、宗教に入信することはどこか引っ掛かるところがある。多くの日本人はそのように思っているのではないでしょうか。これは、新興宗教団体による強引な勧誘行為や高額商品の販売などによって、宗教に対するイメージが損なわれたためだと考えられます。
先に断っておくと、私は無宗教の人間です。仏陀が話したとされる説法をいくつも聴いて、なるほどと思うことは多々ありましたが、私自身は各宗教にあるような「死後、天国にいける」や「輪廻からの解脱」という話には特別な関心は持てませんでした。ですが宗教の重要性は海外に出てからというもの、頻繁に感じさせられます。海外の友人に「日本人は仏教徒が多いのか?」と質問されて「日本にはお寺がたくさんあるが、若い世代を中心に無宗教の人が多い」と答えるとたいてい変な顔で見られます。これだけ長く生きてきて、仏教国でありながら仏教のことを何もしらないことに恥ずかしさを感じたことが何度もあります。
当然のことですが、タンマガーイ寺院の出家コースを通じて入信を勧められることはありません。出家を果たした今も私は信仰を持っていません。しかし、宗教がその国の衣食住、精神、教育など人々の生活に関わるあらゆる文化に大きな影響を与えていることは事実です。日本を出てタイに渡りその文化に触れたことで、キリスト教や仏教、イスラム教などに触れても盲信せず、かといって反宗教も掲げず、良いところがあれば取り入れ、自分の人生に生かすことが宗教との適切な付き合い方なのではと感じるようになりました。だから本書の執筆にあたっては、宗教云々に関する内容はできるだけ省き、あくまでもフラットな感覚で(無宗教という視点から)執筆することを意識しました。
この本を通じて出家や瞑想に興味を持っていただければ幸いです。読みにくい部分もあると思いますが、ご自身が出家をされている気持ちになって読み進めていただければこれほど嬉しいことはありません。
川端陽介
1出家スタート
住まいや仕事もまったく違う見ず知らずの男たちに共通するのは、遠く離れた日本からやって来たことと、出家したいという気持ちだけです。初日は誰もが緊張します。
簡単な自己紹介の挨拶を済ませても、人数が多いためなかなか名前を覚えられないかもしれません。それでもこれから共に住む仲間たちです。出家という同じ目標があるからこそ、相手と目が合う度に「〇〇さん」と意識的に名前を呼び合えば、不思議なほど自然と打ち解けていきます。
最初に行なうのは健康診断です。タンマガーイ寺院の中には衛生的な診療所が併設されており、簡単な病気や怪我はここで診てもらうことができます。これから始まる20日間の生活を安心して過ごすために、健康診断では検尿、採血、体重測定などを行ないます。
診断書はタイ語で書かれていますが、日本人ガイドが一緒に居てくれるので全く心配ありません。ここでも参加者の共通の話題は出家をすること。行き帰りの車内ではすぐに皆と仲良くなれるでしょう。
初日は今後の生活についての詳細な説明があります。
朝は4時30分起床だということ。食事は1日2回だということ。出家式までにお経を覚えなければならないこと。規則正しい生活をしなければならないこと。
詳しい生活サイクルに関しては後ほど説明しますが、全てが始めての経験で不安になることもあるかもしれません。ですが、日本人出家コースには日本語が堪能なタイ人の僧侶が常駐しているので、安心して瞑想に集中できる環境が整っています。
2瞑想とは
瞑想は東洋的で非科学的なものとして取り扱われているのも事実です。しかしその効果は近年、科学的に認められはじめています。
世界中の大学やいくつもの公的な研究機関が瞑想についての効果を実証しており、米国の大手企業であるGoogle 社やデパートチェーンのTarget 社、そして大手食品メーカーGeneral Mills 社も瞑想を取り入れています。
NBA のスタープレーヤーであったマイケル・ジョーダンが精神を集中させ、試合で能力を遺憾なく発揮するために禅を行なっていたのは有名な話です(禅はインドで生まれた瞑想法の一つです)。彼が、「ゲームの最後の場面で、禅のおかげで観客が静かに感じられた。周囲の動きがゆっくり見え始め、コートがよく見えた」と語るとおり、瞑想は周囲の把握と冷静さ、集中力をもたらしてくれるのです。
また、瞑想はアップル社のスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビルゲイツ、京セラ・KDDI の稲盛和夫など、大企業の多数の経営者も取り入れています。経営者やアスリートが当たり前のように瞑想の習慣を持ち、定期的な実践を奨めています。多くの成功者や成功企業が実際に瞑想を生活の中に上手く取り入れて、その効果によって素晴らしい成果を手にしています。非科学的と言われながら多くの人が実践し、成果を上げている瞑想。瞑想を行なうにあたり、予備知識はほとんど必要ありません。少しでも疑うのなら、試してみる価値は高いでしょう。
瞑想は近年ではセルフコントールの分野において、集中力や行動力を高めてくれる有効性が証明されています。しかし一方で、心を起点とした技術でもあるので、人によって効能が異なるというイメージも少なからずあります。
タンマガーイ寺院は、ルアンポー・タンマチャヨーとクンヤーイ・アージャーン・チャンという二人の堅い決意のもとに設立され、たった40年間で10万人以上の信者をもつ大きな寺院へと成長しました。
これほどまでの短期間で多くの人に受け入れられる寺院に成長したのは、その瞑想方法にこそ秘密があります。仏陀が確立した瞑想法は実に数十種類あるのですが、入滅後2600年間で失われてしまった方法もたくさんありました。タンマガーイ寺院が実戦した瞑想方法はその再発見とも言われており、誰もがイメージしやすく自問自答が明瞭で、かつ心の平穏を手に入れやすい方法だったのです。
そもそもなぜ出家者は瞑想をする必要があるのでしょうか?これは仏教の説く「涅槃」と深く関係しています。言い換えれば、苦しみをなくすために瞑想を行なうのです。
心の汚れを除き綺麗にするため。智慧を得るため。二度と生まれ変わらないため。
仏陀は「一切は苦である」「生きること、存在そのものが苦である」と発見された方です。
苦しみとは、他の誰かから与えられるものではありません。私たちは移り変わる物を「永遠」と信じ、一時しのぎの安楽を「幸せ」と考え求め、ありもしない「自我」にしがみつきもがき続けています。苦しみを生み出す根源が、自分の中の「欲」や「無知」だと気づくためには、今この瞬間の体・心・感覚と一切の現象をありのままに正しく観察し、自ら「体験」する必要があります。その手段が瞑想なのです。
人間の心は90%以上は外に向いています。無意識にいろんな雑念に縛られて生きているともいえます。例えば、今日あなたの親が誕生日でレストランに行き食事をしている時に、遠くの席で店員を怒鳴り散らしているお客様がいるとします。そのようなシチュエーションでは「うるさいな」もしくは「何事か」と不安を感じるでしょう。
この「うるさいな」「何事か」と思っている瞬間、あなたの集中力は削がれ、知らず知らずのうちに家族との大切な時間が奪われているのです。これらは思考しようと思ってしているわけではありません。自然に、意図しないところで勝手に発生した気持ちです。つまり、自分の大切にしたい時間は外部の変化によってたやすく邪魔されてしまうということ、言い換えれば、常に外部からの刺激に晒されて人は生きているのです。
これを雑念と呼ぶこともあります。
人は何かに意識を集中しなくても、勝手に物事を思い浮かべてしまいます。雑念は、周囲の環境や雰囲気の変化にその都度反応し、意識とは関係のない思考や気分を私たちに生じさせます。これは無意識がそうさせているためで、この働きは生きている限り永遠に続きます。自分の頭に浮かぶことは、自分で完全にコントロールできている事柄だけではないという証明でもあります。
雑念(自分でコントロールできない気持ち)は飼い馴らされていない猫のようなものです。餌をあげて仲良くなってからでないと近づくことすらできません。捕まえようと焦れば焦るほど猫は警戒し、自分の場所には来てくれないでしょう。じっくりと時間をかけて近づくしかないのです。
良い結果を期待しないことが良い瞑想を行なう秘訣でもあります。どんな人も瞑想によって無意識下の心を制御し、自分の意志や欲求を守り、為すべきことを為すための力を手に入れることができます。瞑想とは何も考えないことであり、自分の心を見ることでもあります。これを続けると自分の今の状態がわかるようになっていきます。
歩いているとき、食事をしているとき、誰かと待ち合わせをしているとき。
瞑想はいつでもどこでも行なうことができます。瞑想を行なうことにより、自分の意志や意図を行動に反映させることが簡単に出来るようになったり、周囲の情報に振り回されず的確な判断を下し、行動することができるようになります。
3出家の動機
「はじめに」で触れましたが、日本では宗教に怪しいイメージを持つ人も少なくありません。
私はできるだけフラットな気持ちで出家に挑みましたが、それでも出家をしたいと日本の親友に伝えるとき、「あやしい宗教に入ったのでは?」と心配されることが頭をよぎりました。しかし、その考えは全く必要ありませんでした。むしろ「出家は素晴らしいことだね」と喜んでくれました。逆にタイ人の友だちには「そんな遊び半分の気持ちで出家なんてしないでほしい」と呆れられる始末でした。
日本人にとっての「出家」はお寺参りや葬式、新年三が日の参拝の部類に入り、「入信」とは区別されるようです。タイ人は「出家」と「入信」を同一に考えているため、私に真剣に出家するよう促したのだと思います。いずれにしても、タイは真面目に出家を希望する人を受け入れてくれる土壌が出来上がっているのだと知りました。
上記のことからわかるように、出家コースは入信目的ではなく、純粋に出家をされたい方が参加するのが良いかと思います。
日々生活し、仕事を行なう中で、本当に自分自身に向き合って生きてきたか?と問われると答えに窮する自分がいます。そこで私は、瞑想を通じて自分自身と向き合いたいと考えました。そのためには瞑想に適した寺院を探す必要がありました。
私個人が参加を決意した理由は主に以下の5つです。
・日本語でのサポート
タンマガーイ寺院では日本人向け短期出家コースを10年以上行なっており、数十人の日本人が出家しているという実績があります。そのため、タイ人僧侶で日本語が話せる人や日本人でタイ語が話せる人が常駐しています。
常に日本語を話せる人が身近にいるため、言葉の壁に窮することはありません。タイ語を練習してみたければその旨をタイ人に伝えれば教えてさえくれます。
・健康面でのサポート
健康面でもかなり気遣いが行き届いています。
持病がある人は処方されている薬を持ってきたほうが良いですが、風邪や虫刺され等の簡単な体調不良であれば、寺院側で薬を用意してくれます。薬で風邪が治らない場合は、寺院に併設されている診療所や近くの総合病院に連れて行ってくれるので、健康面で心配する必要はありません。
膝が痛いという要望を出したときに夜中にも関わらず膝サポーターをわざわざ近くの薬局まで買いに行ってくれたことにはとても感謝しています。
ちなみに全ての金額は出家コースの費用に含まれているため、よほど大きな金額でなければ費用負担はないでしょう。
・タイ文化への興味
タイのしきたりは仏教に関連したものが多くあります。日常生活においても、誕生日や結婚式、その他特別な日に、托鉢に来るお坊さんに食事をささげたり、お寺へ行ってお布施をしたり、貧しい人に何かを恵んだりします。
例えばタイ人は子供の頃から、良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こると教えられています。これは仏教の「因果応報」の教えで、全ての物事には必ず原因と結果があるというものです。
このようにタイでは幼い頃から仏教の考え方が教えられ根付いています。
出家すればこのタイ文化へ近づくことが出来るのではと考えました。
・瞑想への興味
すでに触れましたが、瞑想の効果は近年、科学的に認められはじめています。
大手企業の経営者やスポーツ選手、結果を出せる人々が当たり前のように取り入れている瞑想とは何なのかを肌で体感したいと思いました。
忙しい世の中では自分の心と対話する機会は多くありません。ゆっくりと瞑想の時間をとり、自分のやるべきことを明確にしたい、心をリフレッシュさせたい、という想いもありました。
・仏教が続いていることへの興味
仏教は釈迦が入滅されてから2600年も続いている大きな宗教です。歴史があるということは組織運営が卓越しているという意味でもあります。僧侶になると227の戒律を守って生活するといいます。その洗練された戒律と組織運営の手法を体験したいという気持ちがありました。
4瞑想の方法について
瞑想にはさまざまなやり方があり、これが正解という方法はありません。しかし一つだけ言えることは、気持ちを楽にして無理をしないこと。これが最も大切なことです。
①まずは静かな場所で楽に座る
座禅を組み、右足くるぶしの上に左手を置きます。そして左手親指に右手人差し指を軽く添え、背筋を伸ばし静かに目を閉じます。
瞑想とは何もしないことです。体の中に何もない状態。風船のように軽く。蓮の葉に浮かぶ水滴のように…とイメージしながら座ります。
座り方は、自由です。椅子に座っても問題ありません。始めは自分にどんな座り方が合っているかを調整しながらいろんな座り方を試してみると良いでしょう。
極力、雑念が入りやすい状況では瞑想に取り組まないようにしましょう。騒々しい場所や情欲を駆り立てられる場所など、自分の精神バランスを崩す可能性のある不安定な場所は、瞑想を行なうには不適切です。自分の無意識を揺さぶるような要因をまずは遠ざけましょう。
②目を閉じて意識を呼吸、一つのモノに集中する
目を閉じなくても良いとする方法もありますが、最初は余計な視覚情報を入れない方が、瞑想の感覚を理解しやすいでしょう。
まず意識を呼吸に向けます。鼻で息を大きく吸い、ゆっくりと吐きます。最終的に意識をヘソから指二本分上に持っていくようにイメージします。その道筋は、右鼻(女性は左鼻)、右目頭(女性は左目頭)、頭の中心、舌の上、のど、へそ、そして最後に指二本上です。
瞑想初心者は心に一つだけ物を思い浮かべると良いでしょう。月、太陽、シャボン玉、川…。ネガティブな感情や修行を妨げる感情(愛欲、情欲、復讐心など)に関わるもの以外であれば何を思い浮かべても構いません。そしてその一点だけに集中します。
③自分が何を思うかを一歩下がったところから観てみる
「いま自分は仕事のことを考えた」「お腹が減った」「足が痛くなってきた」「眠くなってきた」
初めての瞑想は雑念に苛まれるでしょう。呼吸に集中しようとしても、あなたの頭の中では色々な考えが浮かんでくるはずです。日常の不安や恐れ、取り留めのない思考が、次から次に湧いてくるでしょう。ですがそれで良いのです。ルアンピーは「瞑想中に寝てしまったとしても、それは悪いことではない。むしろ瞑想は寝ることと似ている」と教えてくれます。雑念がある自分を認識することから瞑想は始まります。
④何も考えないように努力する
これほど集中しようとしても、無意識は多くのことを私たちの気持ちとは裏腹に勝手に語りかけてくるでしょう。無意識は頭に色々なことを浮かばせますが、あなたはその言葉を無視して、自分の呼吸を何も考えずに行なうのです。雑念にまともに付き合わないことが大切です。欲求や不安を感じている自分を観察し、「自分の無意識はこんな思いを抱かせてくるのだな」と他人事のように流して、自分は呼吸と一つのモノだけに集中しましょう。
この過程であなたは自分の無意識が普段からいかに好き勝手に暴れており、規則性もなく移り気であるかを知ることができます。
ルアンピーは雑念が入ってきたときに、以下のように考えるよう教えてくれます。
「自分の部屋に一人で勉強しているときに、誰かが訪ねてきたと思いなさい。来客を受け入れることもできるが、招くと勉強ができなくなる。来客は無視しましょう。本当に大切なことであれば勉強(瞑想)を終えてからでも出来る。
ネガティブな感情がこみ上げてきたらゴミ箱を掃除するイメージを行いましょう」
良いことだけを考え、怒りを感じないようにします。
雑念は見るだけなら問題ありません。しかし思考しないようにします。雑念には必ず終わりがあります。大切なことは良い気持ちを保ち続けることです。雑念が払拭できなければ一旦目を開けます。
無意識を促し、何も考えずに呼吸に意識を傾けていると、ふと呼吸にすら意識を向けなくてもいい瞬間が訪れます。呼吸は意識をせずとも行えるから、呼吸だけに集中した状態から、呼吸への集中を抜けば、そこには無意識も意識もない空白が生まれます。瞑想ではこの状態を目指します。
しかしここに辿りつくのは簡単ではありません。特に初めは無意識の扱いに苦労するでしょう。「何も考えない」という考えが浮かべている瞬間に、すでに「何も考えないことを考えている」ことになるのだから、自分の心を完全に空白にするのは簡単なことではありません。
瞑想を行ない継続していると、理想的な瞑想の感覚がつかめてきます。自分が無意識にコントロールされているのか、それとも無意識をコントロールすることができているのかを明確に感じ取ることができるようになります。そうすれば、瞑想による様々な効果を享受することができるでしょう。
⑤瞑想効果の感じ方
瞑想は非常に感覚的なものなので、「この方法で合っているのか?」と不安になることがあると思います。人によって瞑想方法、結果は異なりますが、瞑想結果を図るバロメーターをご紹介します。
1 幸福感
2 純粋
3 静止
4 はっきり見える
5 透明に見える
6 明るく見える
瞑想がうまく出来ているとするバロメーターには、以下のようなものもあります。
【瞑想前】
・ 一日中良い気持ちを保てている
・ 心配事を抱えないで生活が出来ている(心が安定している)
・ 常に善い考えを持ち、善い言葉を使い、善い行動が出来ている
【瞑想中】
・ 身体全体が楽になる
・ 心が軽くなる
・ 終了時間短いと感じる
【瞑想後】
・ まだ瞑想を続けたいと感じる
・ 自ら瞑想したいと感じる
・ 自ら瞑想する時間を探す
集中力は瞑想の訓練によって高めることができます。自分が無意識を制御する感覚というのは、自分の中で育てることができるものです。一流のアスリートなどは自分の集中力の高め方や、自分の集中力が高まっているかを感知する方法を経験から知っていますが、あなたもその境地に瞑想によって辿りつくことができるのです。
緊張や判断ミスへの不安を抱えている人、やる気が起きず集中できない人。そんな人にとって瞑想はとても役に立ちます。慣れてくれば立ったままでもいつでもどこでも目をつぶるだけで、無意識を制御して自分のやるべきことに意識を集中させることができるようになります。
瞑想することによってあなたの集中力は強化され、何事においても多くの時間持続することができるようになります。自分の感情を冷静に観察できるようになるため、不安や悲しみなどのストレスとの付き合い方を知り、冷静に過ごすことができるようになります。
すっきりした頭は状況処理能力・計算能力なども高めてくれるでしょう。
どのような効果を求めて「瞑想」を始めるかは、あなた次第です。一回あたり5分間であっても、長く続けていけば効果を感じることができるようになってきます。瞑想についてまだ懐疑的な人は、1週間だけでも続けてみることをお勧めします。
5出家の準備と出家中のこと
出家するにあたり事前準備で購入したものは、出家中に履くサンダルと髭剃りくらいです。
出家式の時に唱える「出家請願の言葉」はパーリ語で覚える必要があります。パーリ語は仏陀の時代に使われていた仏典用語で、現在はもう一般には使われていません。しかし、仏陀の教えを忠実に守るためにはそのまま理解するのが一番だと考えられ、2600年もの間そのまま使われ続けています。
出家請願の言葉はA4用紙で9枚分あります。日常生活ではなじみのない言葉なので、暗記するのは大変です。出家の言葉を覚えるには最低1週間はかかるでしょう。私自身、出家コース参加前に全てを覚えきることは出来ませんでした。ですが、やってみるとわかるのですが同じような単語がいくつも出てくるので、暗記しなければならない箇所は意外と少ないです。また、コースに参加してからも豊富に暗記する時間があるので無理して覚えてくる必要はないと
思います。
コースの長さによりますが、数日から数週間は出家部外者とのやり取りが出来なくなります。もちろん携帯電話も没収されます。会社を休んで来られる方は、仕事をしっかり整理してから来るのが良いと思います。緊急時のために緊急連絡先は控えてくると良いでしょう。また、出家の意義などを勉強しておくと、タイ文化や出家についてより理解が深まるのではと感じました。
6出家者たちに対して
私の参加した回では22歳~80歳までの人と出会うことが出来ました。
仏教に詳しい人、日本で社長をやっている人、タイ人と日本人のハーフ等、経歴も様々です。年齢による体力の違いはあるものの、目的は「出家すること」と共通されていたので組織内は終始和やかでした。
トイレの使い方(トイレットペーパーを便器に流して詰まらせた)に関してちょっとしたいざこざはありましたが、皆がルールを守っていれば起こらない問題だったと思います。
講話では組織での身の振る舞い方やチームワークに関しても指導してくれます。そのおかげか、皆率先して相手を思いやり物事を処理していきます。洗濯や座る場所、食事をする場所に関してもあらかじめ決められているので、小さな揉め事も置きにくいよう配慮されています。
出家コースは毎回このような雰囲気になるとのことなので、特に人間関係に悩む必要はないでしょう。
7活動内容
【剃髪式】
仏陀は、悟りを得るためには外見的な虚飾を捨て去り、精神性を高めることが必要としました。髪を伸ばすと髪型を考えたりお洒落に気を使ったりします。髪型についてあれこれ考えることは煩悩を招く原因になり、修行の妨げになります。この仏陀の精神が伝わり、世俗と決別する決意を表すものとして、剃髪の風習が始まったと言われています。
また、剃髪は身体を清める目的でも行なわれます。剃髪式は功徳を積める儀式なので、多くのタイ人が集まります。
剃髪式では最初に信者さんがハサミで髪を切ってくれます。その髪を蓮の葉の上に乗せます。その後、僧侶がカミソリで剃っていきます。眉毛も剃ってもらいます。
剃髪は髪の毛を剃ったことのない人にとっては衝撃的な思い出となるでしょう。髪の毛の無い頭皮は、全く想定したことのない感触だと思います。
剃髪当日は頭が冷えて体調を崩しやすいので、頭にタオルを巻いて眠りにつきます。
【出家式】
出家式とは文字通り、出家するための儀式のことです。剃髪式と同様に功徳を得られる行事なので、多くのタイ人が集まります。出家式までに「出家請願の言葉」を覚える必要があります。「出家請願の言葉」は僧侶になるための願い言葉で、清潔を保つべき身体の部分の教えや法衣についての説明、出家者の資格についての言葉がそれにあたります。
前に触れましたが全てパーリ語で唱和しなければならず、覚えるには数日かかるでしょう。
出家コースでは「出家請願の言葉」を覚えるために様々な工夫がなされており、本人にやる気があればほぼ全員出家式までに言葉を覚えることができます。
そして当日は、地位の高い僧侶20人以上の前で経典を唱えます。出家者は僧侶に合掌し、出家をさせてほしい旨をパーリ語で唱えます。僧侶は仏・法・僧の大切さを説き、法衣を出家者に渡します。出家者はいったん外に出てその法衣を纏い、再び式場に戻ります。僧侶は戒律の教えを説き、托鉢の鉢が渡されます。それから、もう一度、進行役の僧侶との間で問答があります。経典を読み間違えや覚えてない箇所があると、何度でもやり直しさせられることになります。僧侶になる誓いをパーリ語で間違えずに読むことができれば、晴れて僧侶になることができます。
出家式で法衣を初めて纏ったとき、重く動きにくいと感じました。しかしこの重たさが歴史の重要さと重なり、あの仏陀も纏っていたであろうことを考えると非常に感慨深いものがありました。
法衣は纏うのが難しいです。慣れれば一人で着ることが出来るようになりますが、最初は二人がかりで着ます。法衣を身に付けている間は自分の楽な姿勢で座ると型が崩れてしまいます。逆に言えば、そのおかげで綺麗な姿勢を保つことが出来ます。
法衣を着ているだけで街行く人はワイ(合掌する)をしてくれます。その姿を見て未熟な自分を再認識し、さらに精進して修行に励まなければという気持ちになりました。
また、黄色い法衣なので観光客からは珍しく見えるようで、記念写真をお願いされることもありました。自分がタイ文化の一つとして貢献できていることに嬉しい想いも芽生えました。
【托鉢】
托鉢は朝6時頃に寺院に程近い村で行われます。外はまだ薄暗い時間です。通りにはゴザを敷いて托鉢用の食べ物をもって信者さんが待っています。朝もやの中で連なる橙色の法衣に、静かで厳かな存在感を感じることができるしょう。
村には鶏の鳴き声と村民の子供が鳴らす鐘のカンカンカンという音、そして僧侶たちが地面を踏み鳴らす音だけが響きます。
托鉢を受けた僧侶が去った後も、手を合わせたまま動かない信者が何名もおり、信仰の厚さをうかがい知ることができます。
僧侶であるあなたが托鉢を行なうときに感じる幸福感を、ぜひとも体験してほしいと思います。
【お経】
毎朝5時と夕方18時20分に、瞑想室でお経を30分かけてじっくりと唱えます。経本があるのでお経を読むのが始めての人でも心配は要りません。パーリ語で書かれているため聞くだけ、読むだけでは意味を知ることはできませんが、経本には日本語訳もあるので安心です。仏陀が涅槃に入ってから数百年後にまとめられた言葉だと思うと、身が引き締まる思いがします。
【配膳と食事】
食事は朝7時と11時の1日2回です。当然夕方ごろにお腹が空いてくるのですが、「バーナー」といっておやつタイムがあるので飢えに苦しむことはありませんでした。
配膳は担当となった出家者が行います。その日によって食事メニューは変わりますが、タイ料理が中心です。日本人にとっては辛い料理もありますが、ルアンピーが注意喚起してくれるので心配はいりません。食事前には「食前のお経」を唱え、諸々関連する人、命に感謝します。食事は食堂で座禅を組んでいただきます。瞑想を行いながら食べるので食事中はもちろん無言です。心の中では「この食事は信者さんが一生懸命作ってくれたものであり、私たちは満腹になるために食事をするわけではない。綺麗に着飾るために食事をするわけではない。味わうために食事をするわけではない。ただ空腹による苦しみから逃れるためだけに食事をするのだ。」と唱えながら食事を頂きます。
食べ終わった皿に関しても清潔を求められます。食べ散らかしや食べ残しは厳禁です。全ての所作に気を配り、食事を作ってくれた人、命に感謝しながら食事をいただきます。
その後、出家者で分担して皿を洗います。
【洗濯】
毎日一回、夕方に洗濯を行います。
僧は一般の人とは身分が違うので、身に付ける法衣を一般の人に洗って貰うことはできません。洗濯は僧が各自の持ち場を分担して全て手洗いによって行なわれます。法衣は広げると縦1m、横2mほどの大きな布です。これを洗うのは容易ではありません。
何人もの法衣を一度に洗濯するため、取り違えたり、見つからなかったりすることを防ぐため、全ての衣類にはしっかりと名前を書いておきます。
まず洗濯する衣類を水洗いします。これにより衣類についた汗や埃が落ち、繊維が延びるため洗濯がより早くきれいにできます。その後衣類を正しい割合で洗濯洗剤を溶かした水の中につけ置きます。30分後、まず汚い部分から荒い、その後、全体的に別の部分も洗います。洗剤を落とすために水洗いは2回行ない、この際に、繊維や縫い目、形が崩れてしまうことを防ぐために衣類をねじりまわさないように注意します。
干し方にもルールがあります。衣類を干す際は、太陽の光で色が落ちてしまわないよう、縫い目のある裏側を外にして陰干しします。また、衣類がしわしわにならないよう、衣類を振ってきちんと広げ、端を伸ばしてから干します。このほかにも細かなルールがありますが、これらは自分と他人が心地よく生活するために必要なことなのです。
【掃除】
トイレ掃除を例に見てみましょう。
使用する道具はアイロン型亀の子たわし、歯ブラシ、ゴム手袋、スポンジ、桶、箒、洗剤です。全ての掃除にもルールが決まってきます。まず蜘蛛の巣取り箒でトイレの天井の埃や蜘蛛の巣を取ります。次にトイレの壁を全面拭きます。それから汚れを落とすために、バケツと水桶の内側と外側を洗剤をつけたスポンジで洗います。床に全体的に洗剤を流しかけ、アイロン
型亀の子たわしで床を磨きます。その後、スポンジで便器を洗います。最後に全体に水を流しかけ、換気をすれば終了です。
このように、もっとも効率よくトイレをきれいにする方法が確立されています。
その他、廊下掃除、出家者の宿泊所の掃除、瞑想施設の掃除などがあります。各自で分担して行なうため、30分から60分で掃除は完了します。
掃除を行なうことにより、以下のような善果を得ることができるといいます。
・ 心が透き通る
・ 意地やうぬぼれが軽減する
・ 皮膚が明るく透き通る
・ 細やかで丁寧、物事をよく観察できる人物になる
・ 明るい世界が開ける
・ 人や神など様々なものに愛される
・ 見る人に信仰心を感じさせる
・ より簡単にダルマに達する
・ 清潔を好む人間になれる
これらの掃除は実際に行動してみるとどれも効率と能率を考えられていて、仏教の教えである「協力し合うことは平和をもたらす」を体言するものです。組織で生活し修行を行なうからこそルールが存在し、ルールは誰かを縛ることではなく自分と相手が気持ちよく生活するために必要な事なのだと知ることができました。
【シャワー】
洗濯、掃除が終わってからシャワーを浴びます。
タンマガーイ寺院では水浴び、チェンマイの瞑想施設は気温が低いため温水によるシャワーが認められています。シャワーは大きなバケツから水を汲み、体にかけます。出家者全員で同じ時刻に入るため、腰巻を着用して陰部が見えないよう配慮します。
シャワーは参加者の楽しみの一つでもあるので、会話もよく弾みます。
苦痛だったことと言えば、座禅を組んだときに足が痛くて大変でした。元々体が柔らかいタイプではないので最初の一週間は痛みとの戦いでした。慣れるまでは椅子に座ったり座布団を二枚重ねたりして痛みをしのぎました。
瞑想中に雑念が入り込んできて集中できなかったことも大変だったことの一つです。そんなときは難しく考えないで出来るだけ簡単に考え、良い結果を求めないように努めました。
参加して数日間はトイレにも戸惑いがありました。日本のような整った水洗設備はなく、用をたした後に手桶でお尻を洗い水で流すだけのトイレだったからです。トイレットペーパーを利用できないので慣れるまでは気を遣うことも多いと思います。
食事に関しては個人的には問題ありませんでしたが、極端にタイの食事が苦手だと厳しいかもしれません。辛い料理はあまり多くなく、唐辛子などは別皿で用意されているのでお好みで辛さを調整できます。
8講話について
以下は毎日の講話の中でルアンピーが出家参加者に話された講話内容の一部です。
講和は毎日、朝1時間、昼1時間、夜2時間の計4時間あります。実生活でも役立つ学びが多いので、この講話を聴くだけでも出家コース参加の意義は十分にあると思います。
(1) 戒について
【戒】
戒とは「仏教徒が守るべき決まり事」のことです。
持戒によって悪い行いを避け、品行を抑止、規律正しい生活をします。
他人を苦しめず、迷惑をかけない戒は、自分をも守ってくれます。
そして後々、心の安定(定)や悟り(慧)をえるために欠かせない土台でもあるのです。
〈五戒〉
・生き物を殺さない
・与えられていないものを盗らない
・パートナー以外と性的関係を持たない
・嘘をつかない
・お酒、ドラッグを飲まない
〈八戒〉
・生き物を殺さない
・与えられていないものを盗らない
・性的行為を控える
・嘘をつかない
・お酒・ドラッグを飲まない
・正午から翌朝までの食事を控える
・舞踏、歌、音楽、観劇を控え、香水などで身を飾らない
・豪華で贅沢な別途や椅子を使わない
(2) 道徳心について
心に道徳感を入れるには、以下の三つが重要になってきます。
・規律→言葉、動作を正しく行なう。清潔、時間厳守、計画性、習慣化。
・尊敬→善行を認識する。接待を通じ社会性を知る。
・忍耐→事実を受け入れる。原因と結果を理解する。瞑想して落ち着く。
(3) 組織で平和に暮す方法
・慈悲で行動する
思いやり、優しさ、分かち合いで行動しましょう。組織内で起こる喧嘩の火種は常々お互いの言葉にあります。悪い言葉を受けたとしても良い解釈をするように心がけましょう。自分よりチームを大切にし、同じ理想を持ち、お互いの長所を見るようにします。そのためには先に相手に優しさを伝え与えることが重要です。
・今を大切にする
「過去はすでに捨てられた。未来は来ていない」
あれこれ心配しても仕方がないという教えです。そして決して諦めるなという意味でもあります。今、この瞬間を大切にして今に全力で生きましょう。
( 4) 人生における真の敵
・時間
時間はいつも変化するものです。善い行いをしたくても時間はどんどんなくなっていきます。これは真理です。相手の悪いことを指摘して時間を浪費することもできますが、それならば善い行ないに徹する方が有効な時間の使い方といえるのではないでしょうか。
・悪習
悪習とは善行を妨げるもの。煩悩、肉体を衰えさせること、老化、病気、死、善行を妨げる人のことを指します。悪習にとらわれていては人生を好転させることはできません。
これらを断ち切るには強い心が必要です。強い心を作るには瞑想がもっとも適しています。
9まとめ
瞑想は簡単ではありません。
私自身の感想を言うと、現時点でもまだまだ理想の瞑想が出来ているとは言えません。瞑想をマスターするために出家ツアーに参加するのではなく、「このコース中に瞑想の基礎を学ぶ」という軽い気持ちで参加するのがちょうど良いのではないでしょうか。
瞑想は自分と向き合うことだと思っていましたが違うそうです。瞑想とは空です。心を空にすること。無にすること。何も考えないことが瞑想だと教わりました。
今回出家コースに参加することによって、私自身に以下のような変化がありました。
・リラックスする方法を覚えることができた
心の安定を手に入れて気持ちをリラックスさせることが出来るようになりました。
・気が長く、優しい人になれた
瞑想を通じて一時的なリラックスではなく、長期的な優しい心を持つことができるようになりました。優しい人というのは親しみやすいし、近づきやすいものです。冷静で落ち着いた人格を手に入れることもできます。瞑想が上達することにより、先走る「思考」のクセを見直すことができたり、ネガティブな「感情」をコントロールできるようになったりしたので、明るく穏やかな気持ちを保つことができるようになったと思います。
・心が強くなった
瞑想は、恐怖、不安、パニックといった精神的な重荷を取り除くためにも有用だと感じました。何かが起こったときでも慌てたり不安になったりせずに、心をどっしりと構えることができるようになったと思います。
・継続して集中できるようになった
瞑想とは「集中すること」、そして「集中が切れたことに気付くこと」の訓練でもあります。そのため瞑想をしていない時の集中力も高めることができるようになりました。持続的な集中力を手に入れることができたことは大きな収穫です。
・物事をきちんと行なうことができるようになった
瞑想には型があります。その型を守ることで効果的な瞑想を行なうことができるようになります。物事を行うにあたって、十分な準備や注意を行うことが当たり前に出来るようになりました。
副産物としてはダイエットに成功しました。私は週に5日はお酒を飲む人間だったのですが、禁酒し1日2回の食事を行なったことがこの効果をもたらしたのだと思います。
また、タイ人の友達に出家した旨を話すと、誰もが尊敬のまなざしで見てくれます。短い期間ではありましたがタイの文化に囲まれて生活する中で、彼らの考え方が少しわかった気がします。出家をするということは「私はタイやタイ人が好きです」と言っているのと同意です。その後のコミュニケーションの円滑化に一役買ったことは言うまでもありません。
これらの変化を得たい方には、この出家コースはお勧めです。
20日間という短い期間では出家や瞑想の全てを知ることができませんが、非常に効率的にプログラムが組まれています。そのためストレスなく日々を過ごすことができました。
この場を借りてタンマガーイ寺院の僧侶、スタッフの皆様に御礼申し上げます。
10参加者からの声
第一回参加者 高橋尭英(立証大学教授)
この度は、短期出家コースでの修行をお許しくださいまして、誠にありがとうございました。古式に則った正式な出家得度式を身をもって体験させていただき感激いたしました。特に、タンマガーイ寺院の僧侶の皆様20名が暖かく私たちの出家を見届けて下さったのみならず、数多くのスタッフの方々、信者の皆様方が私たちの修行をサポートしてくださいましたことに感謝いたしております。
チェンマイでの修行は、イスの生活に終始し、瞑想に慣れていない私には肉体的に大変なことでした。しかし、一生懸命やるんだが気を張りすぎずにやっていけばよいのだ、という中道の精神に則った先生方の暖かいご指導とお導きを頂戴し何とか当初の予定を終了することができました。
瞑想体験に関しては、まだまだ入口に立っただけの状態です。しかし、自分の意思で意図的に頭をまっさらにし、あちこち動き回る心の存在を意識し、その心を対象に釘付けにするという修行が、爽快感をもたらし、自身の気持ちを明るくしていくということを学びました。「足が痛かったら、イスに座ってもよいから、心を対象に統一するように努めなさい。でも、頑張りすぎてはいけません。遊び半分、という意識が必要ですよ」というお言葉は、非常に新鮮で
した。瞑想は涅槃に導くものであることは理解していたのですが、その瞑想が私たちの身近にあるものであることを自覚いたしました。今後、バランスよい人生をおくるためにも、少しずつでも続けていこうと思っています。
また、「食」は自らの楽しみのためではなく、健康な人としての修養のためにあることを修養道場での食法に則った食事や托鉢の経験を通じ、身を以って学ばせていただきました。お掃除や洗濯係といった作務も大切な修行の一環であり、私たちの修行を支えてくださっている在家の信者の皆様たちのための作務でもあることを学ばせていただきました。
最後に、この度のすばらしい経験を与えてくださいましたタンマガーイ寺院の僧侶の皆様、スタッフの皆様に厚く御礼申し上げます。
第1回参加者 中村榮次
托鉢に出かける
歩いているうちに、供物を受けているうちにとても安らかな幸せな気持ちになってくる。タイに来て、一番おだやかな心でいる自分を感じた。歩きながらこの気持ちはどこから来ているのだろうかと考えた。その謎がわかった気がした。それは人々からお荷物をいただいているが、実は物ではなくてそれを通じて人々の一所懸命な気持ち、美しく清らかな気持ちをいただいているのだ。それによって自分の気持ちが安らかになるのかもしれない。
そのいただいた気持ちをその人々にどう返すのか。私は人々が幸せであるように、このお婆ちゃんが、このおじさんが、この子供が、この家族が安らかで、安全な、幸せな人生を送られるように祈った。
第2回参加者 朝倉誠
去年の10月に某会で歩く瞑想を知った。それは歩く時の足の上げ下ろしをアナウンスし続ける単純なもので、何の意味があるのか…と思った。しかしこの単純な行為を30分ほど続けると、不思議なことに頭がクリアーになる。この現象が不思議でネットで瞑想を検索すると、瞑想には「観」と「静」があり、止を学び観で悟へと達するという流れを知った。
日本は仏教国である。禅寺で座禅を学べないかと調べると、お寺はたくさんあるのだが、本格的指導をしてくれるところがないのだ。ネットで調べるとタイやミャンマーの上座仏教で僕のニーズにあう指導をしてくれるところが数箇所あったが、タイのタンマガーイ寺院の出家コースを選んだ。その理由はお坊さんの人柄、優しそうな感じに惹かれたのだ。この出家コースは3 週間、得度で剃髪もあり、本格的僧侶生活を体験する。得度後は、法衣をまとい、僧侶と
してのマナー指導や法話と瞑想が朝4時~夜11時まで続く。寺院見学、托鉢、灯明等々のイベントも豊富に盛り込まれていてかなりハードであるが楽しい。数々の学びの中でタイ国民の仏教への帰依の深さに感動し、涙を流してしまう体験を何度もした。タイでの僧侶への信頼や尊厳は、日本人の感覚を超えたものであり、厳しい227の戒律を僧侶は守り日々修行している。修行の中での瞑想は、素晴らしい結果をもたらした。タナヴットー僧師の講義で瞑想での疑問が解け、日本での仕事や生活のストレスもない環境で良き師の下での瞑想は法身へ大きく近づいた感がある。指導の通り表われた光輪の仏を第7ベースに持っていくと、自然に鳥の羽が水面にふわっと落ちるように定着した。体内から発光がある感覚で今までに感じたことのない心地よさと優しい光に包まれていた。
第1回参加者 茂木房雄
毎日の説法を聞いたりしているうちに、だんだん小さな光の玉が見えるようになってきました。それは瞑想を始めて2週間くらい経ってからのことでした。目を瞑ると光の輪が次々に現れてきたのです。この日本人短期出家コースには、瞑想がやりたくて参加しました。チェンマイという良い環境の中で瞑想が出来たことは、僧侶の皆さんやスタッフのおかげだと思っています。ありがとうございました。
第8回参加者 平賀 俊幸
今回このコースに参加したきっかけは、仕事柄多くの方々の心と触れ合うことがあります。そのために自分自身がまず自分の心を安定させるということがとても必要になります。ですので、その心を安定させるため、心を更に深めていくためにこちらのコースに参加することを決めました。
実際に参加してみて、僧侶の生活というのはいたってシンプルなのですが、そのシンプルの中に非常にプログラムされた素晴らしい、一つ一つが自分自身の一瞬一瞬の中で感じられると言いますか、一つ一つが功徳に繋がっている。そして、その一つ一つが心の中に染み渡っていくような、そんな毎日を過ごすことが出来ました。
そして、感動したのが何よりも瞑想で体験したことです。瞑想の中で、今まで私は十数年の間瞑想を行なってきましたが、こちらに来てその瞑想が更に深まりまして、光という、この光の球だけではなく、その中にある自分の姿を映し出すことが出来ました。そんな自分を今回向き合うことが出来たことによって、また自分自身の心の安定と深まりを感じることが出来ました。非常によかったと思っています。
第8回参加者 珍田潔
毎年、東京の渋谷でタイ大使館主催のタイフェスティバルというのが毎年行なわれているのですが、その中でタンマガーイ寺院のブースがありまして、そこで短期主家のパンフレットを頂きまして、それを家に持ち帰って、見てちょっとやってみたいなと思って申し込んだ。それがきっかけです。
感動したことは得度式ですね。数十人単位の僧侶の方、それからお寺のスタッフの方、それから信者さんが私達の得度式のために色々協力して頂いて、とても感動しました。
僧侶の生活はいたってシンプルな生活だと思います。いろんな外からの刺激がないように配慮がされていて、修行に凄く打ち込めるような状況になっていると思います。
自分探しをしている20代、30代、それから私みたいな40代、それから人生の後半になってまだ疑問を残したまま人生の終焉になられるような方、それに長期で本当に出家なさりたい方も勿論ですが、是非参加してみて自分のその疑問を解決して頂きたいと思います。
瞑想法
私たちは現代社会を行き抜くためには、様々なストレスを心に蓄積していきます。これが心と体を蝕む原因となっているのです。私たちは毎日シャワーを浴びることで体の汚れを落とし清潔に保っています。しかし、心の汚れはどのように落とせば良いのでしょう。濁った水が入っているコープがあるとします。この濁った汚い水を澄んだ水にするための簡単な方法は、ただ放って置くことです。これと同様に心の汚れも、ただ中心に留め静止させれば、自然に澄み切った綺麗な状態になります。このように瞑想とは、心の洗濯とも言えるのです。毎日、瞑想を実践して心の汚れを洗い流し、本来の輝く美しい心を取り戻すことで心身ともに健康になりましょう。
心身の整え方と基本姿勢
瞑想の基本的な姿勢は胡坐をかいて座り、右足を左足の上に置き、右手を左手の上に乗せ、軽く目を瞑ります。背筋は真っ直ぐに伸ばしてください。しかし、これには拘らず、自分が楽な姿勢で座り、体が強張らないように楽に座ることです。もし体の一部でも強張っていれば、それは間違った方法であるということです。
◎これでも構いません
座る際はクッションを使っても、使わなくてもかまいません。自分にとって座り心地がよい体勢を整えてください。座っている姿勢が辛くなったら楽にしましょう。無理をせず、足などを組み替えてみてください。瞑想は決して我慢比べや競争ではありません。
目の瞑り方
目を軽く瞑りましょう。睡眠前のように軽く目を瞑ります。優しく、力んで瞑らないように重力に任せて静かに目を瞑ります。緊張の開放
全身をチェックします。体のどの部分も力んでいないか、緊張しすぎたりしていないかチェックしましょう。笑顔でゆったりと坐ってください。そして、体全体の 筋肉をリラックスさせましょう。頭の先から、ひたい、まゆ、まぶた、目の周りの筋肉、顔の筋肉、首、両肩の筋肉、両腕から指の先まで、胴の筋肉、両足の付根から爪先までリラックスさせます。
呼吸の調え方
2丨3回、深呼吸をしてみましょう。息を吸い込むとき、体の細胞すべてに幸福や喜びを吸収するようにし、息を吐き出すときは悩みやマイナス感情を吐き出すようにしましょう。ゆっくりと自分の心を友人や家族、勉強や仕事などの日常から自由に開放しましょう。
瞑想の開始
1瞑想対象の思い浮かべ方
まず、体の中が空洞だと想像してみましょう。そして、体の中心に心を静止させます。体の中心とはへその上指の幅約2 本分のところにあります。次は心があちらこちらに動き回らないように瞑想の対象をゆっくり思い浮かべます。瞑想の対象として水晶球を思い浮かべてみます。どんなサイズでも構いません。その水晶球は正午の太陽のように明るく、満月の光のように涼しいものだと想像しましょう。心を中心に静止させ、イメージ対象を思い浮かべ続けます。
☆ これが大切です
身体の中心に心を静止させる感覚とは、空から落ちた羽根が水面に接するように軽く柔らかい感じです。羽根が水面に接するときの柔らかさをイメージして、同じように身体の中心に心を静止させてください。はっきり、見えなくても構いません。どのように見えても満足しましょう。
◎ これでも構いません
初心者は身体の中心が何処にあるのか迷うかもしれません。なので、意識し過ぎないでください。ただ、ゆったり心をお腹の真ん中に静止させ、心と体のリラックス状態を保ち続けましょう。
2マントラの唱え方
もし、心が他の事を考えてしまったら、もう一度心を中心に静止させながら、マントラを唱えてみましょう。唱える言葉は「サンマー・アラハン」です。これは心を純粋にするという意味です。この言葉を軽く、柔らかく心から湧き上がってくるよう静かに唱えます。そして、その声が身体の中心から出ているようのだと想像してください。このように「サンマー・アラハン」を唱えながら、水晶球も思い浮かべてみましょう。
☆ これが大切です
心が落ち着くと自然に「サンマー・アラハン」という言葉を唱えるようになります。しばらくすると、この言葉を唱えることを忘れるか、あるいは唱えたくないと感じるようになります。ただ、心を水晶球に静止させたいと感じます。このように感じたら、言葉を唱えなくても構いません。心を水晶球にゆっくりと優しく静止させてください。
◎ これでも構いません
「サンマー・アラハン」以外の言葉でも構いません。例えば、リラックス、幸せ、のんびりなど、自分が心地良くなる言葉なら何でも構いません。
3瞑想が終わる前に
最後に自分が得た内面の平和と幸福を、すべての人種、国籍、信仰に分け隔てなく、生きとし生けるものすべてに広げましょう。彼らがどの国、何処にいたとしても。同じ人種でも他の人種でも。私のことを好きでも嫌いでも。私を家族のように、友人のように、敵のように思っていても。 瞑想から得た純粋な思いやりが彼らの心にあるすべての怒り、悲しみ、苦悩を取り除きますように。苦しんでいるなら、苦悩から解放されますように。幸せなものは、より幸せに
なれますように。すべての人種、国籍、信仰の人々が平和に、寛容さと思いやりの中で共存できますように。 と思ってください。