安らぎのマニュアル มงคลชีวิต

Read | Download オリエンテーションA. イントロダクション 本書「安らぎのマニュアル-吉祥経」をお手に取って頂き、どうもありがとうございます。このオリエンテーションでは、道徳を勉強する際の方法論と、本書に収められている吉祥経38 項目の背景を説明していきます。本書で扱う内容はこれといって複雑なものではなく、タイ人にとってはほとんど皆が触れたことのあるもので、事実この項目に関するテストを毎年400 万人を超える児童・生徒が受けている程にメジャーなものです。タイでは 1982 年を境に、学校教育における職業訓練的要素を過度に重視する風潮が進み、それに反比例するように精神性に関する教育の時間が削減されていきましたが、それでもなおこの吉祥経だけは、精神性を扱う教育科目として辛うじてカリキュラムに残りました。   A-1. なぜ心の教育が必要なのか 読者の皆さんの中にも、学術知識や物質的な知識だけでは不十分なのだろうか、と疑問に思われた方がいらっしゃるとかと思います。もし人間が、お腹が膨れて眠ることさえできれば幸福でいられる存在であったなら、道徳についても精神についても学ぶ必要は無いはずでしょう。しかし、心の深いところを見ていけば、万人が答えを求めてやまない普遍的な問いが流れているのが見つかるものです。 すなわち、この世界で自分が生きていることの目的と、その意味に対する問いです。身体を養う事のみが人生の目的であったなら、お金持ちこそこの世で最も幸福な人々であるということになります。しかし残念ながら、物質的な財産からは物質的な快適さしか得られません。お金では、心を養う事はできないのです。また、どんな資格や学位を持っていても、心の飢餓を止める事はできません。それどころか、せっかく教育から得た知識を使って、他の人には思い付かないようなとんでもない犯罪に手を染めてしまう人すらいます。世俗の教育を受けても必ず幸福になれるという保証はありませんし、それを悪用して刑務所に入ってしまう人もいます。 ここに、世俗的教育と心に関する教育との明確な差異が見られます。というのは、心に関する教育から正しく学んだ場合、刑務所に入るような事はまずあり得ないからです。というのも、それは単純に頭に知識を詰め込む教育ではなく、考え方、話し方、行動の仕方そのものを向上させていく道であるからです。 私たちが内奥に抱えている問いに関しても、世俗の教育がヒントを与えてくれれば理想的ですが、現状ではこの要望は満たされていませんし、今後も期待はできないのかもしれません。というのも、自己への問いかけの過程こそが、この道を進み知識を得ていく為に必要不可欠だからです。私たちはこの答えを世俗の教育以外の所から見出さなくてはならないのです。   A-2. 限定的価値と普遍的価値 私たちの精神を磨いてくれる要素には様々なものがあります。それはこの世で出会う人であったり、物であったり、態度や状況、経験であったりしますが、それらの価値に関する判断は、人それぞれ異なる限定的なものでしかありません。私たちの人生を向上させると言われているものの中に、万人に例外無く当てはまる普遍的なものはあるでしょうか。 私たちはブランドをステータス・シンボルと見なします。現代のブランドを例を挙げると、メルセデスやアディダスがあるでしょう。それらブランドは自社のブランド価値を上げる為に宣伝にお金をかけていますし、消費者たちも多少値段が張ったとしてもそれらのブランドのロゴが入った商品を選びたがるものです。そうしてブランド品を選ぶ理由は何かというと、それら有名ブランドのシンボルを身に付けることで、多かれ少なかれ自分自身の価値が上がると思うからでしょう。それらブランドの価値を普遍のものであると見なしている人もいますが、実際には時代ごとに移り変わるもの、つまりは流行、その時のファッションでしか無いのです。 ブランドなど無かった時代にも、人々は「お守り」集めに凝っていました。お守りも、身に付ける事で自分の価値が上がり、人生が上向きになると信じられていた点でブランドと共通しています。今日でもお守りは「幸運の蹄鉄」や「四つ葉のクローバー」といった形で残ってはいますが、かつてに比べればそれらに対する人々の情熱はかなり薄くなっています。かつての人々のお守り対する思い入れは、今よりももっと切実だったのです。 本書で言うところの「心」とはすなわち、この世の普遍的価値を求めた人々が見出した万人に当てはまる要素であり、これを向上させることで私たちの価値を普遍的な意味で高められるとされる要素を指します。この世界にはこうした意味での心に関する知識を扱う様々な伝統がありますが、それらは理解の深さに応じてそれぞれ形が異なってきます。 それらの内、当てはまれば理想的と思われる要素を挙げてみます: ・段階性-単純なステップから複雑なステップへと徐々に移行していけるもの ・自発性-実践する程に自然とやる気と熱意が湧いてくるもの ・多様性-人生のあらゆる局面において適用できるもの ・全体性-ある一部の事にのみ関するものではなく、あまねく全体に関連しているもの ・レベルの多様性-自己に関するレベルから他者や家族、社会や国際レベルの問題までを扱うもの ・万人に当てはまる普遍性-あらゆる文化圏の人々に等しく当てはまること ・万事に当てはまる普遍性-ある単一の問題のみではなく、万事に当てはまること ・実用性-理論や哲学だけではなく、現実的な方法を示していること ・価値の超越性-世俗的な価値観を超越していること ・対立的要素の明確性-避けるべき要素と求めるべき要素の違いを明確に示していること 心の価値を説く様々な教えの中にも、これらの要素を欠いているものが多々みられます。中には強い限定性を持ち、別の信念を持つ人々への攻撃性を示すような教えもありますが、そうしたものはグローバル化と人類共生の意識が進んだ現代社会にはそぐわないと言わざるを得ません。また、特殊な言語や特殊な文化様式を持つことで自らと社会とを切り離し、現実の問題を無視していくような教えもよろしくありません。   B. 吉祥経 B-1. 吉祥経の歴史的起源 「吉祥経」は、先ほど挙げた項目の全てを満たしている大変興味深い教えを示し、「普遍的な価値」に対する一つの回答として形成されたものです。人類は太古の昔から物事の価値判断をしてきた訳ですが、2500 年前のインドの人々は、時流に流されない、時流を超越した普遍的な 価値を追求し始めていました。どんな吉祥(祝福)を持ってすれば人生を障り無く生きられるか。富、名誉、名声、幸福だけを受けられる様になるにはどうすれば良いか。この問いを根本とする思想を大きく分類すると、以下の 3タイプになります: 1. 喜ばしいものを「見る」事が人生に吉祥をもたらすという思想 2. 喜ばしいものを「聞く」事が人生に吉祥をもたらす思想 3. 喜ばしいものを「見たり聞いたりした時の心の動き」が人生に吉祥をもたらすという思 「喜ばしいもの」のイメージは人それぞれ違うので、上記の思想を持ったグループは当然、お互いに相容れませんでした。ある人にとって心地良い音楽も別の人には不快だったりするものですし、今日気に入っていたものでも翌日になればウンザリしていたりするものです。こうなると、無条件で「吉祥をもたらす」と定義できるものなど何も無い様です。かくして、「吉祥とは」という議論は尽きること無く延々と続きました。現代に於いてですら「本当にめでたいこと」の定義は曖昧です。 この議論はお釈迦様の解説によってようやく終焉をみました。「吉祥とは何か」と尋ねられた時のお釈迦様の回答こそ、今日「マンガラ・スッタ」(Maṅgala-sutta)すなわち「吉祥経」として知られる経典に記されているもので、そこには10 のグループに分けられる38 の項目が記されています1。…